
娘は私が保育園に行ってることは知ってるけど、そこで働いてるとは思ってないらしく「おかあさんの先生はどんな先生?」って聞かれた。おかあさんも保育園で遊んでると思われてるっぽい。ウケる。
女兒知道我去幼兒園,但好像不清楚我是在那里工作,因為她問我“他*的老師是什么樣的?”,她覺得媽媽也是去幼兒園玩。真好笑~

女の子(4歳)がおままごと用のコップを持ちながら「いらっしゃいませー!あついですね!おみずいりますか?」と聞くので「そうですね!暑いからください!」とお願いしたら、「ジャアアアアアア!!!」と言いながら僕の頭の上でコップを逆さにしてた。思っていたサービスと違った。
女孩(4歲)拿著過家家用的杯子,向我詢問“歡迎光臨!天很熱呢~ 您需要水嗎?”,我提出要求“是的!天氣很熱,請給我(水)!”。于是小女孩一邊嘴里發出“嘩嘩嘩嘩嘩嘩!!!”的聲音,一邊把水杯倒過來放在我頭上(倒水的動作)。這和我想象中的服務大相徑庭。

息子、多忙な夫と今日久しぶりに話せたのですが、先日幼稚園で行われたさつまいもふかしが幼稚園だけではなく、全國各地で同時に行われているイベントだと思いこんでいる息子が「パパの會社のさつまいもふかしどうだった?」と聞いていておもしろかったです。
今天兒子和忙碌的老公久違地說上了話,因為兒子的幼兒園前幾天蒸了紅薯,他以為不光是自己的幼兒園蒸了紅薯,而是全國各地同時舉行了這個活動。于是,他問他爸“爸爸公司的蒸紅薯怎么樣?”,真是有趣。

5歳の息子が興奮しながら、「(幼稚園で同じクラスの)〇〇君も〇〇君も、それから〇〇君も、自分と同じ卯年なんだって!こんな偶然、ある!?」と聞いてきたんだけど、ある。結構な高確率で、ある。
5歲的兒子興奮地跑來問我“(幼兒園里同班的)〇〇君和〇〇君、還有〇〇君和我一樣,都是兔年生的!世界上竟然存在這樣的偶然,太厲害了吧 !?”這種偶然是存在的。而且機率相當高。

息子、未だに「正直」の意味がわからず
夫「洗面臺ビショビショにしたの誰?正直に言いなさい😤」
息子「正直さん、ごめんなさい、ぼくでしゅ😢」
と斜め上の何も無い空間に向かって謝ったいた。
兒子至今還不明白“正直”是什么意思。
丈夫“誰把洗水臺搞得濕噠噠的?快點從實招來!(字面也可理解為:快點告訴正直)!”
兒子朝著斜上方什么都沒有的空間道歉“對不起,正直先生,是我干的”

うちの子はね
『社會科見學に行くから持ち物に名前を付けときなさい』
って先生に言われて
持ち物ひとつひとつに
「鉛筆は、えん子とピツ子」
「消しゴムは、消しゴムぞう」
「定規は、はかりマスオ…と!」
───と、忠実に
《持ち物に名前を付けた》ことがある子なので、多少のことでは驚かない。
我家的孩子,
聽老師說“之后要去工廠參觀學習,所以請大家給隨身物品標(起)好名字”,
于是他就給他自己帶的東西一件一件取了名字
“鉛筆,就叫鉛子和筆子”
“橡皮,就叫橡皮藏”
“尺子,叫…計增夫!”
——像這樣,聽從老師的話給東西起了名字。
因為他是個“給隨身物品起名字“的孩子,所以不會輕易對他做出的事情感到驚訝了。